”ソウルフル”なキャロル・キング
今日はショック太郎さんちの日記にコバンザメ企画。
(http://www2.diary.ne.jp/user/168425/)
採りあげられているのは言わすと知れた名盤中の名盤
『Tapestry / Carole King』(1971)です。
ショック太郎さんのレビューというのは,深い見識と審美眼と
プレイヤーとしての経験に裏打ちされた素晴らしい文章で,
粗製濫造している私なんか,逆立ちしてもかなわないような見事なもの。
今回の日記の中で特に私の目を引いたのが,以下の部分(勝手に引用してスイマセン)。
最後に一言。 キャロル・キングの歌は、実にソウルフルである。 そこを意識して聴くと、アルバムの中で、何度も鳥肌が立つ場面がいくつもある
まったくもって同感。彼女の歌のなんと”ソウルフル”なことか・・。
ODE時代の代表曲を集めたボックス・セットである『私花集』についている
ブックレットには,彼女のこんな言葉が載せられている。
−「私は素晴らしいシンガーではないから,曲そのもので聴き手の心をつかまなければならないの」−
たしかに美声ではないし,どこまでも高音が伸びるというわけでもない。
けれども,このアルバムの中の彼女の歌はまさに”ソウルフル”そのもの。
「I Feel The Earth Move」の,「Way Over Yonder」の,「A Natural Woman」の,
「Beautiful」のなんと”ソウルフル”なことか・・。
「A Natural Woman」といえば,アレサ・フランクリンのバージョンが有名だが,
私の持っている”ソウルフル”という概念からすると,アレサのバージョンに決して劣っていない。
それどころか,高音の伸びをこれでもかと見せつけようとするアレサの歌い方に,
時として辟易としてしまう自分にしてみれば,
キャロル・キングの歌の方がシンプルな歌詞の意味が伝わってくる。
このアルバムが名盤だとされる理由は,それこそ数多くあるんだろうけど,
私がこのアルバムを大好きなのは”ソウル”を感じるからなんですよね。
(アレサは大ファンですから・・・・・念のため)