”ソウルフル”なキャロル・キング

P5NEO2005-01-10

今日はショック太郎さんちの日記にコバンザメ企画。
http://www2.diary.ne.jp/user/168425/

採りあげられているのは言わすと知れた名盤中の名盤
Tapestry / Carole King(1971)です。
ショック太郎さんのレビューというのは,深い見識と審美眼と
プレイヤーとしての経験に裏打ちされた素晴らしい文章で,
粗製濫造している私なんか,逆立ちしてもかなわないような見事なもの。
今回の日記の中で特に私の目を引いたのが,以下の部分(勝手に引用してスイマセン)。

最後に一言。
キャロル・キングの歌は、実にソウルフルである。
そこを意識して聴くと、アルバムの中で、何度も鳥肌が立つ場面がいくつもある

まったくもって同感。彼女の歌のなんと”ソウルフル”なことか・・。


ODE時代の代表曲を集めたボックス・セットである『私花集』についている
ブックレットには,彼女のこんな言葉が載せられている。

−「私は素晴らしいシンガーではないから,曲そのもので聴き手の心をつかまなければならないの」− 

たしかに美声ではないし,どこまでも高音が伸びるというわけでもない。
けれども,このアルバムの中の彼女の歌はまさに”ソウルフル”そのもの。
「I Feel The Earth Move」の,「Way Over Yonder」の,「A Natural Woman」の,
「Beautiful」のなんと”ソウルフル”なことか・・。
「A Natural Woman」といえば,アレサ・フランクリンのバージョンが有名だが,
私の持っている”ソウルフル”という概念からすると,アレサのバージョンに決して劣っていない。
それどころか,高音の伸びをこれでもかと見せつけようとするアレサの歌い方に,
時として辟易としてしまう自分にしてみれば,
キャロル・キングの歌の方がシンプルな歌詞の意味が伝わってくる。

このアルバムが名盤だとされる理由は,それこそ数多くあるんだろうけど,
私がこのアルバムを大好きなのは”ソウル”を感じるからなんですよね。


(アレサは大ファンですから・・・・・念のため)